岡山市足守: 足守陣屋


足守陣屋
足守陣屋
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足守陣屋 足守陣屋 足守陣屋 足守陣屋
足守陣屋・歴史・観光・見所
足守陣屋概要: 足守陣屋慶長6年(1601)、木下家定が足守領2万5千石を与えられ足守藩を立藩、当時、木下家は京都に居を構えていた為、領内には城や陣屋は無かったとされます。慶長13年(1608)、家定が死去すると幕府により長男勝俊と2男利房に相続が認められましたが、御家騒動により改易となり浅野長晟が2万4千石が入封します。藩祖である木下家定は豊臣秀吉の正室であった高台院(おね・ねね・北の政所)の兄(弟とも)とされる人物で、跡継ぎ争いで高台院は勝俊だけを藩主とする事に画策した為、幕府から処罰されたとも云われています。慶長18年(1613)、長晟は和歌山藩を継いだ為、足守藩は廃藩、一時天領となりますが元和元年(1615)に改易となっていた木下利房が大阪の陣の功で再び2万5千石が与えられ足守藩を立藩します。利房を2代藩主とすると12代利恭まで木下家が藩主を世襲し明治維新を迎えています。木下家は小録だった事もあり城郭が築けず4代藩主木下利貞の時代に宮路山南東山麓にようやく陣屋が設けられました。陣屋は単郭で足守川を引き込んだ約3m幅の水掘に囲われ高さ1.5m程の石垣が設けられています。内部には藩主の居館と藩庁が置かれ宝永5年(1708)には5代藩主木下公定が京都御所(仙洞御所・中宮御所)の残った建材を利用して吟風閣を建立し大名庭園である近水園を造園しています。嘉永5年(1852)には分家である木下利永(木下利恭の弟)邸が藩主の宅邸に隣接して増築されています。明治4年(1871)に廃藩置県が発令されと陣屋も廃され、建物は足守県庁や小学校の校舎として利用されますがその後破却され、増築した利永邸(木下利玄生家)の一部と吟風閣、近水園、水掘、石垣が遺構として残されています。
 岡山市足守観光・旅行見所ナビ:
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