和意谷池田家墓所: 三の御山


三の御山
三の御山
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三の御山 三の御山 三の御山 三の御山
三の御山・歴史・観光・見所
三の御山概要: 岡山藩初代藩主・宗家3代池田光政(向かって左)と夫人である勝姫(向かって右)の墳墓です。光政は池田輝政の孫にあたり母親である鶴姫が2代将軍徳川秀忠の養女だった事から徳川将軍家とも繋がりの深い人物です。当初は姫路藩42万石を継ぎましたが幼少を理由に鳥取藩32万5千石に減転封となり、寛永9年(1632)、当時の岡山藩主池田忠雄が死去すると嫡男光仲が幼少だった為、鳥取藩に移封となり、代わって光政が岡山藩に入封して宗家池田岡山藩初代藩主となりました。光政は藩校である花畠教場や庶民の学び舎である閑谷学校を開校させる一方で新田開発や産業振興に尽力し、当時は徳川光圀(水戸藩)、保科正之(会津藩)と共に三名君の1人に数えられました。享年74歳。墳墓の傍らには笠石を被った墓表(篆額:池田綱政・撰文:市浦殻斎。書:小原大丈軒・碑名:広沢喜左衛門)があり格式が感じられます。
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