大原宿

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大原宿:略データ
・場 所・岡山県美作市古町
・概 要・当地は「和名類聚抄」で記された美作国栄多郡大原郷の地名を引き継いだとされ、中世は大原保と呼ばれました。

その後、「小原」の字があてられるようになったようで、「東作誌」によると小原庄古町村と記されています。

南北時代には小原城(山王城)を居城とした小原信明が支配しましたが、康安元年に山名時氏の侵攻を受け、小原城が落城しています。

応永33年4月27日の「ほうしゆん譲状」によると「みまさかの国 おはらの市は よしのゝいまにし」と記されており、当地等の檀那職が「しきふ」に譲渡されています。

康正2年頃の城主宇野家貞の時代には小原城の城下町として町場が形成され、明応2年に当時の城主である新免貞重が竹山城に居城を遷した事で、当地が古町と与ばれるようになったとされます。

宇野中務大輔家貞は赤松家の一族とされ播州穴粟郡作州吉野苫北二郡八ヶ庄、備前和気郡内三ヵ所を所領し、播州鷹巣城作州高山城主でしたが、康正2年に小原城に入ったとされます。

家貞は嫡男が居なかった事から新免長重に嫁いだ妹の子供である新免貞重を養子としたとされ、延徳3年に没しています。

江戸時代に入り改めて因幡街道が開削されると当地は宿場町に指定され、本陣や脇本陣、問屋等が整備されました。

特に因幡街道は鳥取藩主池田侯の参勤交代の経路となり、大原宿本陣が宿所になった事から随行した家臣約700名が各所に分かれて宿泊しています。

江戸時代書記の本陣は新免家が命じられ、寛永12年の参勤交代制の実施から元禄12年に中村亦右衛門孝政が死去するまで中村家がその任を担っていました。

宝暦11年に有元家が本陣職を任じられると明治遺臣まで有元家が歴任しています。

現在の本陣は寛政年間に再建された建物で、池田家が利用した木羽葺きの数寄屋造りの御殿や御成門、回遊式庭園等が残され、格式の高さが窺えます。

田中酒造場主屋は明治18年に建てられた建物で、木造2階建て、切妻、桟瓦葺き、平入、外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は海鼠壁、建築面積242u、式台玄関付、貴重な事から国登録有形文化財に登録されています。

脇本陣は文政年間に建てられた建物で、武家等身分の高い家にしか認められない長屋門や回遊式の日本庭園、大規模な主屋が残され、往時の繁栄が偲ばれます。

現在でも当時の因幡街道の宿場町らしい町並みが残されており、岡山県の「古町町並み保存地区」や、「おかやま歴史の旅百選」、「新日本歩く道紀行100選」、「夢街道ルネサンス」にも選定されています。

又、数多くの歴史ある町屋建築も貴重な事から「古町の町並み(建造物)」として美作市指定文化財に指定されています。

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