|
|
阿智神社 |
 |
[ 付近地図: 岡山県 ]・[ 倉敷市美観地区 ] |
|
阿智神社概要: 阿智神社の創建は不詳ですが応神天皇の御代(270〜310年)、朝鮮半島からの渡来人阿知使主一族が祖神を祀ったのが始まりと伝えられています(記録に「よると阿知使主と子供である都加使主が十七県の漢人を率いて帰化したとされます。)。承平年間(931〜38)に源順により編纂された和名類聚抄で記載された阿智の明神は阿智神社と推定され、少なくともこれ以前から当地に鎮座していたと考えられています。当時は周辺が阿智灘と呼ばれる浅瀬で小島の山頂に住民達が社殿を寄進したとされ、日本古来の自然崇拝の象徴でもある磐坐と大陸の宗教の影響が強い蓬莱思想が混在した巨石や庭園の石組みが造られたと考えられています。中世以降は神仏習合し「明剣宮」や「妙見宮」と称するようになり、何時しか宗像三女神が祀られるようになりました(伝承によると神功皇后が当地で遭難した際、宗像三女神の分身と思われる三振の剣が天より舞い降り皇后の危機を救ったことから祀られるようになったと伝えられています。)。江戸時代に入ると歴代倉敷代官から崇敬庇護され社運も隆盛し広く信仰されました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され現在の社号である阿智神社に改称、明治4年に郷社、昭和17年に県社に列しています。
|
|
|
|
|
|
|
※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「岡山県歴史観光案内所」は「岡山県の歴史」、「郷土資料辞典−岡山県」、「日本の城下町−山陽」、「城郭と城下町−山陽」、「山陽道二」、「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。 |
|