真庭市勝山: 高田城三の丸遺跡


高田城三の丸遺跡
高田城三の丸遺跡
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高田城三の丸遺跡 高田城三の丸遺跡 高田城三の丸遺跡 高田城三の丸遺跡
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高田城三の丸遺跡・歴史・観光・見所
高田城三の丸遺跡概要: 高田城の築城年は不詳ですが南北朝時代、三浦氏によって築かれたのが始まりとされます。三浦氏は当地の地頭として着任し戦国時代には国人領主として一定の勢力を保ち数度に渡り尼子氏と攻防戦を繰り広げています。尼子氏が滅ぶと今度は毛利氏との攻防が激化し、度々落城するも奪還を繰り返していましたが天正3年(1575)、当時の城主三浦貞広は毛利氏に城を明け渡し三浦家の支配が終焉します。その後、毛利氏に従った楢崎元兼が城主となり、天正12年(1584)には宇喜多秀家の家臣牧氏が城代として赴任します。関ヶ原の戦いで秀家が改易になると小早川秀秋により接収、慶長8年(1603)から津山藩領となり森忠政の家臣各務氏、大塚氏が城番となります。元禄10年(1697)、森衆利が改易になると天領となり高田城は一時廃城となりますが明和元年(1764)、西尾藩愛知県西尾市)から三浦明次が入封すると高田城を改修し勝山城に改めています。以後、明治維新まで三浦氏が城主を歴任し明治4年(1871)に廃藩置県が発令すると勝山城も廃城となります。
 真庭市勝山観光・旅行見所ナビ:
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