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庭瀬城 |
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[ 付近地図: 岡山県 ]・[ 岡山市庭瀬 ] |
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庭瀬城概要: 庭瀬城は慶長7年(1602)、戸川逹安が2万9千石で入封し庭瀬藩を立藩、撫川城の旧跡である二ノ丸、三ノ丸を改修し築城しました。城は足守川とその支流に囲われた沼地を開拓した沼城で、それらを掘、水路として整備することで城下まで船が着く川港町としても発展しました。庭瀬藩の歴代藩主は石高が低く城主格もいなかった為、陣屋構えでしたが周辺の水掘は幅も広く、水路や川を加えるを幾重にも掘に囲まれているようにも感じられます。延宝7年(1679)、4代藩主戸川安風が死去すると嗣子がなく廃絶、庭瀬藩も廃藩となり天領となります。天和3年(1683)、久世重之が5万石で入封し庭瀬藩を立藩しましたが貞享3年(1686)に亀山藩に移封、再び天領となり元禄6年(1693)に松平信通が3万石で入封、元禄10年(1697)に上山藩(山形県上山市)に移封になると再び天領となります。元禄12年(1699)に板倉重高が2万石で入封するとようやく安定し板倉家11代藩主を歴任します。明治4年(1871)に廃藩置県が発令されと陣屋も廃され、現在は水掘と寛政5年(1798)に板倉勝喜によって創建された清山神社だけとなっています。
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