勝山宿

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勝山宿:略データ
・場 所・岡山県真庭市勝山
・概 要・当地は古くは美作国真島郡高田郷に属していました。

真島郡は「続日本記」和銅六年四月三日条に「割備前国英多、勝田、苫田、久米、大庭、真島六郡、始屋美作国」と記されている事が資料上の初見とされます。

真島郡は「和名抄」東急本・刊本(国衙部)によると「万志万」の訓が付けられ、真島郷、垂水郷、鹿田郷、大井郷、栗原郷、美甘郷、建部郷、月田郷、井原郷、高田郷、以上10郷で構成されていました。

高田郷は現在の真庭市勝山、かつての真庭郡勝山町、旧真島郡高田村一帯が郷域と推定されています。

「三代実録」元慶元年閏二月二三日条に記されている「美作国真嶋郡加夫良和利山」の「加夫良和利山」は「作陽誌」によると旧高田村の蕪坂と地名が似ている事から関係が深いとされます。

平安時代末期から鎌倉時代初頭頃は平信国が知行していたようで、「吾妻鏡」の建久元年四月十九日条には内宮役夫人工作料未済の所として平信国知行分の地頭前隼人佐康清の「西高同郷」が記されています。

応永年間に三浦下野守貞宗が入部すると如意山に高田城を築城、高田城を拠点として長く当地を支配しました。

三浦氏は当初、赤松氏に従い、最盛期には美作西部に版図を広げましたが、戦国時代に赤松氏が没落すると、尼子氏の侵攻を受けています。

天文17年に三浦貞久が死去すると、その間隙を突いて尼子氏に攻められ三浦氏は一時没落しています。

跡を継いだ三浦貞広は三浦家の再興を果たしたものの、永禄11年に毛利元就に攻められ所領を奪われ、元亀元年に山中幸盛の後ろ盾を得て所領を奪い返しましたが、天正3年に宇喜多直家の侵攻を受け降伏しています。

慶長5年に発生した関ヶ原の戦いで宇喜多秀家は西軍に与した為、改易となり代わって小早川秀秋の所領となりましたが、慶長7年に秀秋が嗣子が無く死去した事から当地は津山藩領に組み込まれています。

明和元年に三浦明次が真島郡内96村と大庭郡内1村、合計2万3千石が与えられ高田藩を立藩しています。

明和元年以降は藩庁だった高田城を勝山城に名称を変更し改めて陣屋を設けた事を受け勝山藩となっています。

勝山藩の陣屋町は出雲街道の宿場町として人や荷物の往来が多く、さらに、旭川舟運の川湊として領内の物資が集積された事から大いに賑わいました。

現在も街道沿いには良好な町屋建築は軒を連ね町並みが残されている事から岡山県の「町並み保存地区」に選定されています。

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