倉敷市: 五流尊瀧院


五流尊瀧院
五流尊瀧院
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五流尊瀧院・歴史・観光・見所
五流尊瀧院概要: 五流尊瀧院五流尊瀧院の創建は大宝元年(701)、紀伊に鎮座する熊野本宮の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。創建に関しては役行者の弟子とされる義学・義玄・義真・寿玄・芳玄の5人が深く関わったとされ境内には、それぞれが尊瀧院、大法院、建徳院、報恩院、伝法院を創建し神仏習合の神社として信仰されるようになりました。その後、山岳信仰の中心として多くの修験僧を擁する大社となり最盛期には60坊が境内に軒を連ねたと伝えられますが次第に衰微していきます。承久3年(1221)、当地に流された頼仁親王(後鳥羽上皇の第4皇子)が荒廃した境内を嘆き再興させ再び社運も隆盛しましたが応仁3年(1469)、応仁の乱の兵火により多くの社殿、堂宇が焼失します。江戸時代に入ると岡山藩主池田家が崇敬庇護し正保4年(1647)には初代藩主池田光政が社殿を造営しています。古くから十二社権現と呼ばれてきました明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式を引き継ぎ五流尊瀧院となっています。現在でも熊に神社の参道脇には五流尊瀧院の三重塔が残り神仏習合の名残が随所に残っています。寺宝が多く頼仁親王と覚仁親王が建立した後鳥羽上皇御影塔(石造大宝塔)が国指定重要文化財に指定されているのをはじめ、文政3年(1820)に建立された三重塔(本瓦葺、高さ21.5m、方3間)、康正3年(1457)に鋳造された梵鐘、鎌倉時代以降に製作された木造十一面観音立像、延文2年(1357)に製作された短刀(信国)が岡山県指定文化財にそれぞれ指定されています。
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