吉備津神社

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創建年不詳
祭  神主祭神:大吉備津彦命・配祀:日子刺方別命、千々速比売命、御友別命、中津彦命、倭飛羽矢若屋比売命、倭迹々日百襲比売命、若日子建吉備津彦命、日子サメ間命
格  式式内社(名神大)・備中国一宮・旧官幣中社・別表神社
文化財本殿(附 棟札:明和6年、棟札:弘化2年・応永32年、比翼入母屋造、桧皮葺、国宝)
拝殿(応永32年、切妻、桧皮葺、妻入、間口1間、奥行3間、軒高約12m、裳階付、国宝)
南随身門(延文2年、入母屋、本瓦葺、三間一戸、八脚単層門、木部は朱塗り、国指定重要文化財)
北随身門(室町時代中期、入母屋、桧皮葺、三間一戸、八脚単層門、木部は朱塗り、国指定重要文化財)
御釜殿(慶長17年、入母屋、本瓦葺、平入、桁行7間、梁間3間、国指定重要文化財)
木造獅子狛犬(一対、鎌倉時代後期〜南北朝時代、獅子:金色、狛犬:銀色、国指定重要文化財)
備中神楽(えびす祭:1月10日奉納、国指定重要無形民俗文化財)
回廊(天正6年、両下造、本瓦葺、総延長398m、外壁は柱のみの吹き放し、岡山県指定文化財)
大太刀(銘:備州長船法光、文安3年、全長377cm、岡山県指定文化財)
大太刀(銘:備州長船秀幸、長禄3年、刃長127.2cm、反り3.9cm、岡山県指定文化財)
行道面(平安時代、面長22cm、面幅18cm、一木彫薄造、岡山県指定文化財)
高麗版一切経(高麗時代、縦40.0cm、横30.0cm、小西行長と坂田氏が奉納、岡山県指定文化財)
紙本墨書連歌(応永8年、法楽連歌一万句、縦35cm、横640cm、岡山県指定文化財)
宮内踊 (宝暦年間、三桝大五郎監修で振り付けが伝授された、岡山県指定無形民俗文化財)

神  事例祭(春):5月第2日曜・例祭(秋):10月19日
場  所岡山県岡山市北区吉備津
備  考吉備津神社境内背後の吉備の中山(標高:175m)の山中には奇岩怪石が点在している事から古代から信仰の対象になっていた霊山でした。崇神天皇の御代(紀元前97年から紀元前30年)に四道将軍の1人で、西道に派遣されたという吉備津彦命(大吉備津彦命:第7代孝霊天皇皇子)は当地方を平定し「吉備国」を立国、その後、吉備の中山の麓に居館(茅葺宮)を設けて開発に尽力し当地に没し、吉備の中山の山中に葬られました。その後、5代後裔である加夜臣奈留美命は居館跡地に社殿を造営し改めて吉備津彦を祭神とする吉備津神社を創建したと伝えられています。当初は吉備国の総鎮守でしたが、吉備国が備前国、備中国、備後国の3国に分割すると、備前国と備後国にそれぞれ分霊が勧請され信仰されるようになっています。格式も高く「文徳天皇実録」によると天安元年(857)に三品、「日本三代実録」によると貞観元年(859)に二品に列し、平安時代に成立した延喜式神名帳には名神大社として記載されました。備中国では最高位だった事から備中国一宮とされ国事の祭祀を司る立場となっています。藤原純友の乱では朝廷方に与し戦勝祈願が行われ、見事勝利に導いた事から一品に列しています。平安時代に入ると神仏習合し別当寺院である神宮寺が創建、最盛期には境内に三重塔をはじめ、本地堂、求聞持堂、一切経堂、如法塔などが建立されていました。歴代領主から崇敬庇護され室町時代初期には足利義満が社殿を造営しています。
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